秋月街道:

 

                     

 「秋月街道」は豊前小倉藩と筑後久留米藩を結んだ街道で、小倉を

起点として、秋月を通って野町、松崎を経て田代に至ります。 

 「豊臣秀吉」の九州平定の幹線道路として使用されたために別名「太閤道」とも呼ばれてきたようです。  佐賀藩、久留米藩や肥後藩などが参勤交代の道として、使っていっようです。              
                           

 秋月街道は、元々「秋月・甘木・本郷・久留米」ルートでした。 秋月藩の初代藩主黒田長興(ながおき)は黒田長政の三男で、兄から秋月を領土としてもらいました。 経済の盛んな甘木は福岡本藩が温存していました。  そのため長興は甘木を通らない「秋月・野町・田代」の新ルートを設け、田代までの中間点の野町を宿場としました。

 

 野町は筑前と築後の国境であり、今も関所跡の石碑が残っています。